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● 「強いままで」という願いか
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中央日報 2011.03.29 11:58:54
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138605&servcode=100§code=120
【コラム】原発は危険だから建てるべきではない?
きのうは米スリーマイル原子力発電所事故(1979年3月28日)が起きてちょうど32年になる日だった。
その2日前、米原子力規制委員会(NRC)はスリーマイル事故以後初めて米国内に建てられる原子炉2基に対する環境影響評価を通過させた。
東日本大地震で大きな事故が起きた福島第一原発による後遺症は拡散の一途だ。
放射能漏出は相変らず続いており、それによる余波は沈静化の兆しがみられない。
原発周辺の土地も水も海も、そこで生産される食べ物も、すべてが警戒対象だ。
いくら人体に影響がない水準だと強調しても接する人々の心はまったく違う。
東京の水道水に対する乳児摂取制限措置が下された先週木曜日、私が立ち寄った東京都心の東銀座のコンビニエンスストアのミネラルウォーターはすでに品切れになって久しく、缶ビールさえ見かけるのは難しかった。
見て感じられる余震に対する不安を探すのはむしろ難しかったが、数値だけで示される見えない放射性物質は表われていなくても誰もが持つ恐怖の根源だった。
大地震発生から2週間余り。
原発事故に対する問題は次から次へと現れている。
ともすれば“想定外”だったというが、その想定自体が過度に安易な考え、日本語で“甘い考え”だったとの話だ。
今回の事故で決定的に問題になったのは地震よりも津波だった。
だが、東京電力が想定した津波は5.4メートル。
今回ほとんど被害を受けなかった東北電力女川原発の想定値9.1メートルを大きく下回る“想定”だった。
それでは前例がなかったのだろうか。
少なくとも9世紀と16世紀に類似の津波があったという記録とその痕跡が残っており、ほぼ地球の反対側のチリ大地震による津波が日本列島を強打したのがわずか半世紀前のことだった。
福島原発が建設されたのは世界的にも原発の初期段階だ。
その後原発と地震・津波に関する多くの技術発展、特に安全性に関する進歩があったが、その成果がしっかり反映されたかも問題だ。
20年前から耐震性補強に対する意見が出ていたが、設計変更、ひどければ稼動中止にかかる費用増加を心配した業界の反対から、全面改正はわずか5年前の2006年になってなされた。
技術と安全に関する日本の過度な自信も問題だった。
日本の原発草創期の中心人物で日本原子力研究所研究室長を務めた笠井篤氏は朝日新聞とのインタビューで、若い研修生に原発事故の可能性について話しても
「起きるはずがないでしょう」
「日本の技術は世界一なのに」
という言葉を聞いたりしたとし、自身も責任を感じると悔やんだ。
最大の問題として提起されている東京電力の初期対応も結局はこうしたすべてのことが複合して起きたのだ。
事故直後に米国が技術支援の意思を明らかにしたのに自分たちで解決できるとして受け入れなかったこと、結局海水の放水により廃棄するしかなかったものを30時間もためらい事態を拡大したこと、原子力安全保安院が炉芯溶融を予想したのにヘリコプターで現場査察に出た菅直人首相のため応急措置が遅れたことなど、後手に回る対応が相次いで起きている。
それにもかかわらず
原発自体を止めようという話がほとんど出てこない
ことを知る必要がある。
この日曜日に東京都心で市民団体が原発運営中断などを求めるデモ行進があったというが、それが主流では決してない。
むしろ大規模原発反対デモが起きたのはすでに2021年の原発閉鎖が決定しているドイツだった。
原発事故の危険性を自ら感じながらも大規模反対デモが起きないのは一言で“現実”のためだ。
気分が悪くて不安なのと、電気に支えられる生活をこれ以上できなくなるかもしれないという不便を突き詰めて考えるとどちらを選択するかの問題という話だ。
二酸化炭素排出でもたらされる地球温暖化が地球的問題になる状況で化石燃料を燃やす火力発電は代案にできないという問題もある。
節電がもちろん主要な代案だがどこまで耐えられるか自問してみる必要がある。
話は簡単だが身についた生活の便利さを簡単に捨てることができるかという問題だ。
太陽光・風力・潮力・地熱などさまざまな代替エネルギーがあるというが、それが重要エネルギー源になるには最低でも20~30年は必要だ。
重要なことは原発の安全であり、原発の必要性の有無ではない。
』
「原発を止めようとういう話は出てこない」
たしかにそうだが、日本国民の現在の共通認識は
「新規の原発は建設できないし、されない」
である。
そして、旧来の原発は寿命がきしだい閉鎖である。
よって、原発について能書きを言うことはムダということである。
ドイツで反対運動がおこるのは、彼らが災害に会っていないからで、災害に会いたくない、と訴えているからである。
すでに災害を受けた者の考えはひとつに決まっている。
将来にわたって、日本から原発は姿を消す
である。
これ以外の選択肢はない。
よって「原発を止めよう」というのは自明であって、話題にはならない。
とすれば何が起こるか。
当然、電力不足である。
「節電にどこまで耐えられか、自問してみるがいい」
と言う。
これもまた、
日本は耐える以外の選択肢をもっていないのである。
自問する必要のないものである。
とすれば、今と同じような豊かな社会は消えていく。
これも自明。
安全な原発を造ることなど不可能だということである。
「想定外」
を想定内に織り込んで原発の建設ができるだろうか。
これはまず不可能。
たとえば10mの津波を想定して、原発を造れるか。
安全性ということを考慮するなら、今回の最大津波15mに耐えうるものということになる。
今回が15mなら、次回は今回をうわまわる津波も想定できる。
とすると、超安全を考慮して20mか。
現在の海面から20mを想定して原発の建設ができるだろうか。
現実不可能。
よって、原発建設は二度と日本ではテーマに上らない
ということである。
日本はドイツのあと追うように原発から離れていく。
ではエネルギーは。
日本はエネルギー不足に直面する。
対策はいろいろあろうが、判っていることがはひとつだけある。
現在と同じ豊かさは絶対に保証されない、
ということ。
日本人の生活のすべて、社会のすべてが
エネルギーを使わない方向
にむかわざるを得ない。
「節電にどこまで耐えられか、自問してみるがいい」
まさにそのとおり。
だが、節電ではなく、それを通り越して
「少電社会」の実現が来るべき日本の姿
である。
「豊かな社会」は日本の隅々から消える。
「節度ある社会」が浮かび上がってくる。
無用な豊かさを追う経済主義は、日本からは消えていかざるを得ない。
与えられたエネルギーの大きさから生まれる生活に
馴染んでいくこと、
豊かな社会からみればガマンになるが、そういう社会意識の日本でしか、日本は生き延びられない。
「節度ある社会」とは、それがどういう形をとるかは、
これから10年間の試練
である。
日本はこれから10年、沈んでいく。
揺れる大地とエネルギー不足。
そういう前提のなかで日本民族は生きていくことになる。
それを避ける方法はないのである。
『
ウオールストリート・ジャーナル 2011年 3月 25日 17:54 JST
http://jp.wsj.com/Opinions/Opinion/node_209400
【オピニオン】日本が直面する本当の試練とは
ジョン・バッシー:
(ジョン・バッシーは、ウォール・ストリート・ジャーナルのエグゼクティブ・ビジネス・エディター兼アシスタント・マネジング・エディター)
日本にとって、震災後の復興は比較的簡単な部分だろう。
日本が今の形のままで長期的に生き残ることの方が難しい。
生まれた時から「和」を重んじ、民族的にもほぼ単一で、社会的結束の強い国であることの利点は多い。
深刻な打撃を受けても立ち上がろうとする今の日本に、それはよく表れている。
それは前にも目にした光景だ。
1995年の阪神・淡路大震災の後、第二次世界大戦で日本の都市が焦土と化した後、広島と長崎の後、そして1923年の関東大震災の後。
この国は、困難を切り抜けることについては完璧な術を持っている。
今再び、日本社会を結ぶ地域社会の助け合いの本能が呼び覚まされ、犠牲者を悼み、がれきを撤去し、家とビジネスを再建していくだろう。
トヨタ自動車の米国工場やゼネラル・モーターズ(GM)、ボルボは、日本からの部品調達難で一時的な混乱に見舞われるかもしれない。
しかし、過去を振り返ってみると、グローバル・サプライチェーンの日本の鎖は、大方の予想を上回る速さで修復され、改善されると思われる。
日本は大なり小なり、これに似た経験がある。
1993年、住友化学の愛媛工場で溶媒タンクが爆発して工場が損壊、コンピューター向け半導体のスポット価格が世界的に急騰した。
同工場では、世界供給の60%に相当する半導体封止材が製造されていた。
まさに日本が世界のサプライチェーンのボトルネックとなり、市場では品不足が懸念された。
しかし、予想よりも早く、数カ月以内で、住友化学は製造ラインのうち一本の再開にこぎつけた。
他の日本のサプライヤーも迅速に代替品の生産を増やした。
一転、世界市場は、不足ではなく、過剰な供給を予測した。
神戸が生まれ変わったのは、震災前からの主要産業である製造業と海運業の拠点としてだけではない。
神戸は、震災を、将来について再考し、バイオメディカル・センターとして再生する機会として捉えた。
政府は資金を出し、外国人研究者のビザなどの規制緩和を行った。
この結果、国内だけでなく、米国やドイツから多くの医薬品企業が神戸に集まった。
単一性と社会的結束は、国家にエネルギーと方向性を与えてくれるものの、その一方で、欠点もある。
そして、日本は、それを驚くほど安穏として看過している。
これが、日本の長期的な見通しが不確かな部分だ。
他の文化に価値観を壊されることへの恐れから、日本は移民をほぼ閉め出している。
また、厳しい規範から、会社員は夜遅くまでオフィスでの残業を強いられる。
このため女性は仕事か家庭かの難しい選択を迫られ、最近は仕事を選ぶ傾向が強まっている。
その結果、日本の出生率では、毎年の死亡者数をカバーすることができない。
また、日本の移民政策では、経済を押し上げる力となる世界の頭脳、労働力、納税者を利用することができない。
日本は縮小に向かっているのだ。
また、結束は、「島国根性」や「公的立場を利用した自己取引」と言い換えられる場合もある。
ここで問題なのは、日本の巨大な官僚制度だ。
数十年にわたる一党独裁が政治の発展を妨げ、官僚が国を動かすこととなってしまった。
日本の規制当局と監督対象産業の間の「回転ドア」は、よくオイルが差されており、よく使われている。
多くの場合、官僚トップは、退職後に民間セクターで有利なポストを期待できる。
これがどんな影響をもたらすかは想像がつく。日本の銀行は1980年代から90年代にかけて、当局の手が付けられない状態だった。
というのは、その頃、銀行の経営陣には、大蔵省(当時)や日銀を退官した元官僚が加わることがしばしばあり、その際、彼らの元部下が監督当局の幹部ということも少なくなかった。
上下関係が尊重される日本社会では、このつながりは退職後も続く。
新たな監督当局者は、銀行が傾いている時でさえ、元上司との対立を嫌った。
この慣行は「天下り」と呼ばれている。
原子力行政を規制する経済産業省の元官僚7人は、東京電力で民間部門の給料を受けていた。
そのうちのひとりが石田徹・前資源エネルギー庁長官だ。
彼は昨年退官し、数カ月後に東京電力顧問に就任した。
東京電力は、日本の北東部に今、放射能を拡散している福島原発を運営している企業だ。
福島原発には事故の歴史があり、東電は安全性のデータ改ざんの過去を持つ。
東電とその監督当局は、今回の危機への対応が遅れたと批判されている。
アジアに関する著作のある元米貿易交渉担当者、クライド・プレストウィッツ氏は、
「日本にのしかかる、二つの極めて大きな問題がある」
と指摘する。
同氏は
ひとつは人口減少で、長期的に日本はゆっくり自殺に向かっている。
二つ目は機能不全な官僚システムだ。
政治家には大きな権力がない。
監督当局は、国民のためではなく、自らの引退後のために規制を行っている」
と言う。
どちらの意味においても――
いかに国家として長く生き延びるのか、
そしていかに国家の運営方法を選ぶか
――日本に残された時間は限られている。
「結束」と「静止」は全く別物なのだ。
』
日本は「今の形のままで生き残ることはない」
端的にいえば、それはできない。
現在の目線で、日本のこれからの10年を見ることは、未来に付いて何も語っていないということである。
おもいもかけない形でしか日本はよみがえれない。
それは「経済からの脱却」である。
エネルギーなき今後、経済は日本の標語にはならない。
それに代わる何かで、日本は復活するしかすベを持っていない。
来るべき日本は
「人口減少で、ゆっくりと活性化の方向へ歩んでいくはずである」
高過密社会、異常とも思われる人口密度、それらが解消されて’いく方向に、明日の日本の姿があらわれてくるはずである。
人口減少こそ、未来に光を見出す要因として、日本民族の前に開かれているのである。
これだけは、想定外にはならないだろう。
人口減少こそが、とりあえず今判っている明日への民族の希望、
といっていい。
高密社会からの脱出、
高エネルギー社会からの逃亡、
このラインの向こうに、日本の未来の形があるはずである。
軍事大国から経済大国にかかった時間は半世紀。
とすると次に来る新たな社会のピークは2060年ころになる。
この時の人口は、予想では9千万人。
これが、これからに日本を考えるひとつの目安。
いいかえると、生態学上の適正人口。
ここへ向けて日本は進んでゆく。
その過程こそがおもってもみなかったプロセスである。
今の人口の約70%。
原発の発電量30%。
これでチャラである。
が、半世紀も先のこと。
今のような社会がくるわけではない。
わかっているのは向こう10年は日本は低下のウエーブに乗っており、それに合わせた生活形態、社会システムで生き抜いていくしかないということである。
== 東日本大震災 ==
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