_
● 堤防を越えて釜石を襲う津波
● 津波に破壊された釜石堤防
『
日本経済新聞 2011/3/25 0:00
http://www.nikkei.com/biz/world/article/g=96958A9C9C81E2E2E3E2E2E3E28DE0E6E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E7E2E0E0E2E3E2E6E1E0E2
[FT]津波が示したサムライの死生観と日本人の防災観念
(2011年3月24日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
釜石の丘の上からは、この町の有名な防波堤を一望することができる。
3年前に完成したばかりのこの堤防は、最深63メートルという世界一の水深を誇り、1200億円という巨費を投じて作られたものだ。
それが今では壊れてしまっている。
■よみがえる古代ローマ哲学者の教え
眺めの良いこの場所からは、防波堤が壊れた結果も容易に見渡すことができる。
3月11日の大地震が引き起こした壊滅的な津波により、町の大半が流されてしまったのだ。
こうした光景を見ていると、釜石(そして、海岸線を南に下ったところにある、地震で損傷した原子力発電所の危機)の教訓は、科学技術で自然を飼いならそうとする人間の努力が無駄であり、逆効果でもあるということだと結論づけたくなるかもしれない。
本紙(フィナンシャル・タイムズ)の読者投稿欄に今週、日本人のストイックさについて書かれていたように、古代ローマ時代のストア派哲学者であるセネカは2000年近く前に、死は自然なことであり、死を恐れることこそが最大の問題だと言明していた。
そして、地震から逃れようとして町を移転させることは無意味だと記していた。
自らの運命をコントロールすることの限界をこのように受け入れる姿勢を、日本人はすぐに理解できる。
実際、日本文化には運命論があちこちに見受けられる。
■不可避の死について思うサムライ
被災地では、生き残った人々の多くが、自分たちが喪失に対して全般的に冷静かつ現実的な反応を見せているのは、災害は起こるものだと昔から受け入れてきたからだとか、悲しみや痛みを表に出さないことをたたえる日本のサムライの倫理がまだ残っているからだと話している。
確かに、セネカの思想と、禅の影響を受けた教養ある武士たちが信奉した考え方との間には、興味深い共通点がある。
例えばセネカは、朝目覚めたら、その日1日に起こり得る悪い出来事をすべて想像するよう説いていた。
「この訓練は、ただの遊びではない」。
哲学者のアラン・ド・ボトン氏はこう言う。
「その日の夜に自分の住む町が火事になったり、自分の子供が亡くなったりした時に備えるのが狙いだ」
18世紀の武士、山本常朝も同じようなことを説いている。
山本は、武士道の要諦をまとめた書物「葉隠」の中で、
「不可避の死についての瞑想(めいそう)を毎日行うべきだ」
と述べている。
「毎日、心も身体も平穏な時に、自身の身体が矢や鉄砲、槍(やり)や刀でずたずたにされた時の様子、大波にさらわれ、大地震で死ぬほど揺さぶられた時の様子を思い描くべきである」
■確実に強まる防災システム
確かに、このように冷静さを養うことは、間違いなく、突然の災難や死に対処する際の助けになる。
無事に生きていられる日々への感謝の気持ちも強まるだろう。
しかし、多大な労力と資源を投じて釜石に防波堤が築かれたことから分かるように、自然災害やリスクに対する日本のアプローチが本質的に運命論的だと結論づけるのはナンセンスだ。
エスカレーターに乗る時に、足元に気をつけるよう、これほどやかましく注意する国はまずない。
また、大物政治家の小沢一郎氏が以前書いていたように、もしグランドキャニオンが日本にあったら、そこには柵が設けられ、「立ち入り禁止」の札が掲げられ、がけの縁には近づかないようにとガイドが注意して回ることだろう。
今回の津波を受けて防災システムを強化する動きが弱まることはなく、むしろ確実に強まる。
また、その限界が明らかになったとはいえ、大自然の怒りがもたらし得る苦しみを小さくする最高のツールが科学技術であることにも変わりはない。
■完全な失敗ではなかった釜石の防波堤
不十分なものも非常に多かったとはいえ、被災地の早期警戒避難システムが人々の命を救ったことは間違いない。
また、昔ながらの木造家屋は流されてしまったが、頑丈に作られたコンクリートのビルの上階は安全な避難先となった。
また、専門家は、釜石の防波堤も完全な失敗ではなかったと主張する。
防波堤はこの地域を襲った過去3回の津波災害と同じ規模となる今回より小さな波を想定して設計されたが、一定の海の威力は考慮しており、損害を抑え、住民に逃げる時間を多少余計に与えられたと、早稲田大学社会環境工学科の柴山知也教授は言う。
柴山教授によれば、日本は防波堤と護岸を建て直す一方で、そうした物理的な防御の限界を認識して、住宅地をもっと高い場所や海からもっと離れた場所に移すべきだという。
当局者とエンジニアたちも当然、自分たちの防災計画のベースとなったリスク評価とシナリオを厳密に再考し、ほとんど過去の地震の証拠だけに頼ることがないようにしなければならない。
■現実対応困難にする想定シナリオ
釜石市の避難訓練の設計を手伝った群馬大学の片田敏孝教授は、前例に基づくシナリオに頼ると、人々が未曽有の威力の津波に備え、対応することが逆に難しくなると指摘する。日本に住む人はそうした「固定観念」を捨て、あらゆる事態に備えておくよう注意しなければならないと片田教授は言う。
「例えば、富士山が爆発して、東京が火山灰に埋まるかもしれない。
起こり得る自然災害は何通りもある。
我々はこうした可能性をすべて考慮し、それが起きた場合に社会がどう対応するのがベストか考える必要がある」
3月11日の津波が残したがれきが撤去されるにつれ、波の怒りを免れた人々が覚悟して次の不測の災害に備えるのが難しくなっていく。
しかし、努力する価値はある。
セネカとサムライは間違いなく同意するはずだ。
By Mure Dickie
(翻訳協力 JBpress)
(c) The Financial Times Limited 2011. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.
』
この記事、何を言っているのかまるで理解できないのだが。
● 釜石
『
YOMIURI ONLINE 2011年3月21日03時07分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110320-OYT1T00777.htm
ジャンボ機250機分の波、世界一の防波堤破壊
太平洋沿岸を襲った大津波は、世界有数の規模を誇る三陸海岸の防波堤を軒並み破壊した。
早稲田大学の柴山知也教授(海岸工学)が19日午後、本社機で上空から視察し、岩手・釜石湾入り口の「世界最深」の防波堤を破壊した津波について、
「時速1000キロ・メートルで飛行中のジャンボジェット250機分以上の運動量があった」
と試算した。
釜石湾の入り口に南北からせり出した防波堤は、全長約2キロ・メートル。
地震前は海上に高さ約8メートル、厚さ約20メートルでそびえ、港湾を守っていた。
しかし上空から見ると、北側の防波堤は約800メートルにわたり大きく崩落し、かろうじて残った部分が海面に虫食い状に残っていた。
海面に出た部分には、残ったコンクリートブロックが様々な方を向いて崩れた姿をさらしていた。
防波堤は、最深63メートルの海底に東京ドームの7倍に当たる700万立方メートルの巨大なコンクリート塊を沈め、その上部にコンクリート壁が構築され、2009年に完成したばかりだった。
国土交通省によると、1896年(明治29年)の明治三陸地震(マグニチュード8・5)の揺れや津波に耐えられるように設計され、「世界最深」としてギネス記録に認定されていた。
大船渡港(岩手県大船渡市)にある巨大な湾口防波堤(全長約750メートル、水深約40メートル)も完全に崩壊し、水没していた。
柴山教授は、
「地震で破損した箇所に高い破壊力の津波がぶつかり、一気に崩壊した可能性がある。予想をはるかに超える威力だ」
と指摘した。
防波堤内側の海岸沿いにある「最後の砦(とりで)」の防潮堤も多くがなぎ倒された。
同県宮古市田老の高さ10メートルの巨大防潮堤(全長約2・5キロ)は、住民らから信頼感を込めて「万里の長城」と呼ばれていたが、津波はそれを乗り越え、集落をのみこみ大きな泥沼を作っていた。
同県山田町の防潮堤も50~60メートルにわたり激しく倒壊し、灰色の泥をかぶった町には漁船や家々が、がれきと一緒に転がっていた。
柴山教授は、「全国的に防災対策を作り直す必要がある」と唇をかんだ。
』
[◆ 後日の話]
『
毎日.jp 2011年4月3日 11時02分
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110403k0000e040004000c.html
東日本大震災:津波の犠牲なぜ? 続く震動、ハードを過信
東日本大震災では発生3分後の11日午後2時49分、岩手、宮城、福島の3県に大津波警報が出された。
気象庁地震津波監視課は
「ベストは尽くした。今の技術ではこれが限界」
という。
緊急地震速報も東北の太平洋沿岸各地に大きな揺れが来る5~25秒前に発表された。
津波到達まで30分程度は時間があったのに、なぜ多くの死者・行方不明者を出したのか。
◇「警報知らずに」油断も
600人以上が死亡し、行方不明者も600人を超えている岩手県釜石市。
大津波警報は防災行政無線の拡声機などを通じ、住民に繰り返し伝えられた。
気象庁によると、大津波が到達したのは午後3時20分ごろで、高台などに避難する時間はあったように見える。
だが、今回の地震は三つの地震が連動して起きたため揺れの時間が長くなり、三陸では震度3以上の揺れだけで3分程度続いた。
しかも、午後3時8分に三陸沖でマグニチュード(M)7.4、同15分にも茨城県沖でM7.7の大きな余震が発生。
M5以上でみると余震は3時20分までに少なくとも15回に達した。
揺れが続き、建物などの被害が拡大する中で避難しなければならない状態だった。
釜石市は明治三陸地震(1896年)やチリ地震(1960年)で大きな津波被害を受け、避難訓練などを繰り返してきたが、現地を調査した群馬大広域首都圏防災研究センター長の片田敏孝教授は
「大津波にのまれないような避難場所が近くになかった住民も少なくない。
特に、お年寄りや家族を捜して一緒に避難した人などが逃げ切るのはかなり難しかったのではないか」
とみる。
ハード面の対策への過信が被害を大きくした地域もある。
岩手県宮古市の田老地区は、明治三陸地震津波などを受け、住宅地を囲む大防潮堤が造られた。
海面から高さ10メートル、総延長2433メートル。
「万里の長城」と呼ばれていたが、大津波で破壊されて約1600戸が流された。
自宅から逃げなかった花輪節子さん(68)は夫征夫さん(70)が亡くなり、
「お父さんと逃げていれば良かった」
悔やむ。
地震発生後、家の外で誰かが
「津波の高さは3メートル」
と口にした。
10メートルには余裕があると思った。
その数十分後、大津波が自宅2階のガラス窓を突き破った。
「大丈夫だと過信があった」とうなだれた。
一方、近年は大きな津波被害の経験がない宮城県南部から福島県では、避難しなかった住民も少なくない。
仙台空港が水没し、死者・行方不明者が1700人を超える宮城県名取市。
美容院経営の女性(48)は大津波警報を知り、義母を避難所に連れて行くなどしたが自分は自宅に戻り、警報から約1時間後に津波が迫っていることに気付いてようやく逃げた。
自宅は流されたという。
「大津波が来るなんて思っていなかった。
近所の人たちは津波警報が出ていることすら知らず、のんびりしていた」
三陸地方には「津波てんでんこ」という言い伝えがある。
「津波の時には、家族にも構わず(てんでばらばらに)逃げろ」
という意味だ。
8歳で昭和三陸地震の津波に遭い、体験を語り継いできた田老地区の田畑ヨシさん(86)。
今回の大津波で自宅を流されたが、高台にある妹(81)方に避難し無事だった。
「堤防だけに頼るのは危ない。地震が来たらすぐ逃げる」
とかみしめるように話す。
片田教授が05年から防災教育を続けてきた釜石東中と隣接する鵜住居小。
子供たちは訓練通り、地震発生後すぐに中学生が小学生の手を引いて約1キロ先の高台へ駆け上がり、全員無事だった。
片田教授は
「彼らのような意識が住民全体に広がれば、想定外の災害でも被害を軽減できる可能性を示してくれた」
と語った。
◇ハード対策、限界露呈 釜石「世界一」の堤防大破
今回の大津波は、膨大な予算を投じて営々と築いてきた津波堤防をいとも簡単に突破し、ハード面の対策の限界も見せつけた。
釜石湾の入り口にある「湾口防波堤」。
ケーソンと呼ばれる鉄筋コンクリート製の巨大な箱(重量1万6000トン)を並べて造られ、ハの字形に北(長さ990メートル)と南(同670メートル)の二つの防波堤が配置されている。
78年度に着工、約1200億円をかけて約30年後の09年3月に完成。開口部(幅300メートル)の水深は63メートルあり、世界で最も深いとして10年にはギネス認定された。
国土交通省東北地方整備局の遠藤正義・港湾空港環境対策官は
「津波は海面から海底までの海水全体が陸に向かって動いてくる。
それを湾の入り口でせき止めようとの考えで造られた」
と説明する。
同省港湾局などによると、今回の大津波では
沿岸に達した津波の高さを13.7メートルから8メートルに下げ、
陸上での最高到達点の高さも20.2メートルから10メートルに軽減し、
津波が防潮堤を越えて市街地に流れ込む時間を6分間遅らせたと推定されるという。
それでも、多数の死者・行方不明者が出ることは防げなかった。
防波堤が完全な形で残ったのは4分の1で、半分は土台からケーソンが落下。
遠藤対策官は
「『歯抜け状態』。 世界に誇る構造物だったのに非常に残念」。
大船渡港にもあったが「古い(67年度完成)こともあったのか、全壊した」という。
湾口防波堤は、国の津波対策の切り札だった。
既に全国6カ所に完成し、4カ所で建設が進む。
国交省技術監理室の石橋洋信技術基準審査官は
「高さだけでなく頑丈さも必要になるが、理論的にはあと5メートル高くすれば大津波を防げる可能性があった。
ただし、最初から造るには従来の1.5倍以上の予算がかかる。再整備にも数百億円はかかる。
どこまで整備するかは社会的な議論が必要だ」
と話す。
岩手県もチリ地震津波以降、防潮堤の建設を続けてきた。
同県県土整備部によると、05~10年度は約37億円を投じ、年平均6億円程度かけている。
同部は
「他県より率先して整備してきたと思うが、今回の被害で、ハードによる津波対策のあり方は当県だけでなく全国的に見直されるかもしれない」
という。
国交省海岸室は
「堤防だけで全てを防げるわけではない。
津波避難ビルやハザードマップなどのソフト面などと組み合わせて、津波防災を考える必要がある」
と話している。
』
== 東日本大震災 ==
_